清原、記憶に残る23年、現役に幕


清原、記憶に残る23年、現役に幕

   

      ~日経新聞 2008/10/02 41 面から



涙のドラフトから始まった野球人生は最後も涙で幕を閉じた。試合前、
ソフトバンク・王監督に「生まれ変わったら必ず同じチームでやろう」と
言葉をかけられ、打席に立つ前から清原の目は真っ赤。試合後のセレモニー
では「きょう引退させていただきます。ファンの皆さん、23年間、応援
ありがとうございました」と涙声で語った。
観客、ベンチが総立ちで見守った八回の最終打席。全打席、直球一本で
きてくれた杉内の139キロを豪快に空振りした。この日の2三振で歴代
最多の三振数は1955に。通算525本塁打(歴代5位)を記録した
強打者は、見る者をスカッとさせるフルスイングを最後まで貫いた。


●● 記録よりも記憶に残る選手が、また一人、グラウンドを去り
   ました。


   清原選手は、首位打者、本塁打王、打点王のいずれのタイトルも
   獲得した事がありません。

   また、シーズンおよび日本シリーズのMVP獲得経験も無いという
   23年間、第1線で活躍した選手にしては、極めて珍しい選手と
   いえます。


   日本歴代1位の記録は、いくつか保持しています。


    通算サヨナラ本塁打:12本
    通算サヨナラ安打:20本
    通算三振数:1955
    通算死球数:196
    オールスターMVP:7回


   清原選手らしい、記憶に残る記録ばかりといえます。


   清原選手は、大胆な個人プレーを優先するようなイメージがあり
   ますが、実は、誰よりもチームプレーを優先する選手でした。

   あれだけの実力がありながら、三冠に無縁だったのが、何よりの
   証拠と言われています。

   サヨナラ本塁打および安打の多さからも、そのイメージがみて
   とれます。

   また、オールスターMVPの最多獲得など、チームプレーがそれほど
   必要とされないケースでは、自由に実力を発揮しているともいえ
   そうです。



   清原選手は、巨人から戦力外通告を受けた2005年シーズン終了後
   仰木彬氏に誘われてオリックスに入団します。

   2006年は、67試合に出場しますが、打率.222と低迷。

   翌2007年から、1軍試合への出場は無くなってしまっていました。


   清原の年俸は、2006-2007年は、2億5000万円。
   今季は1億1000万円でした。

   3年間で6億円。

   選手の年俸総額が21億円のオリックスにとっては、痛い出費だったと
   言えるかもしれません。

   ただ、下記に紹介するような清原選手のスペシャルサイトを構築する
   など球団をあげて応援する姿勢を感じます。


   清原選手は、最後の挨拶で、繰り返しオリックスと仰木彬氏への
   感謝の気持ちを述べていました。


   これから清原選手がどのような形でその恩に報いるのか。


   きっとこれからも記憶に残る活躍をしてくれると期待します。


   清原選手、23年間ありがとうございました!



《関連Webサイト》清原
和博 SPECIAL SITE | 男の花道
http://www.buffaloes.co.jp/expansion/kiyohara/